ユネスコ世界遺産委員会は7月6日、「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に登録すると決定しました。
堺市出身で、古墳を身近に育った私にとって、嬉しい限りです。
といっても、私の住んでいる地区には、古墳はなかったのですが、少し行動範囲を広げると、古墳の黒々とした森が目につき、小学校の事業等でも、仁徳天皇の治世などを教わり、私の住んでいる堺は、日本の歴史の中でも重要な場所だったのだと、子供心に刻んだものです。
さて、この数年来スマートフォンで写真を撮影し、SNS等にアップしてきておりますが、堺市を訪問した折に古墳を撮影しておりますので、この機会にまとめてみました。
2014年のことですが、仕事で堺市役所を訪れましたので、市役所21階にある展望ロビーに登ってみました。
堺市役所21階展望ロビーは、地上80m 朝9:00から夜21:00まで、入場無料で利用でき、百舌鳥古墳群を高所から展望できる唯一のスポットです。
南海高野線の向こうに広がる森が、仁徳天皇陵(大山古墳)です。
展望ロビー内の喫茶室では、当時はまだ、珍しかった「古墳カレー」をいただきました。
2014.05.02
数か月後、再び堺市役所を訪れる機会があり、阪和線の三国ヶ丘経由で堺東駅に向かいました。
三国ヶ丘駅の南海高野線側の屋上は、みくにん広場として朝9:00から夕方18:00まで、公開されており、仁徳天皇陵を間近に望めるスポットです。
2014.07.17
仁徳天皇陵の南には、履中天皇陵(石津ヶ丘古墳)があり、最近、後円部の対岸に展望台(ビュースポット)が設けられたと知り、訪れてきました。
生憎の天気でしたが、堀を挟んで古墳を間近に望み迫力があります。
スマートフォンのカメラでは全容を収めることが出来ないほどの大きさを感じます。
仁徳天皇陵もそうですが、履中天皇陵の周囲には、多くの培墳が築かれており、ビュースポットの北側には、七観山古墳があります。
七観山古墳は戦後まもなく破壊されたそうですが、近年、古墳を模して墳丘が築かれております。
また、七観山古墳の墳丘には登ることが出来、履中天皇陵をここからも望むことが出来ます。
2019.05.20
Web等高線メーカーというサイトで、国土地理院の地形図に、数値地図のデータから等高線をオーバーレイして出力することが出来ます。
百舌鳥古墳の周辺を早速作図してみました。古墳群の西側、薄青緑色のあたりは、古代は海で、海上からは、大山古墳、石津ヶ丘古墳の二つの大きな古墳が聳えているように望めたのかと想像すると楽しくなってきます。
日本書紀・古事記によりますと、応神天皇-仁徳天皇-履中天皇という系譜ですが、古墳の築造は、石津ヶ丘古墳(履中天皇陵)-誉田御廟山古墳(応神天皇陵)-大山古墳(仁徳天皇陵)の順に築造されたそうです。
「畿内における大型古墳の編年」(白石太一郎)より(一部編集)
それぞれの古墳の被葬者も、実際には不明とのことですが、この図表を眺めているだけでも想像が膨らんでまいります。
なお、当ブログ上では、〇〇天皇陵を表記させていただきます。