上野-青森を結ぶ特急「はつかり」に1960年12月10日よりこれまでの機関車牽引から、日本初のディーゼル特急として運転が開始された。
先頭車のキハ81は、電車特急の「こだま」同様のボンネット型だが、すんぐりとした形状で、「ブルドッグ」型と呼ばれてきた。
東北本線の電化後は、上野-秋田を結ぶ特急「いなほ」並びに、上野-水戸-仙台を結ぶ特急「ひたち」として運行されたが、1972年10月の羽越本線電化により和歌山機関区に転属し、天王寺-白浜・新宮・名古屋を結ぶ特急「くろしお」のうち、紀伊半島を一周する一往復に、このキハ81を含む編成が担当することとなった。
多客時には、両端をキハ81、食堂車を含め10両編成と、ディーゼル特急の女王たる風格のある列車であったが、老朽化により次第に運用を離脱し、1978年10月の紀勢本線和歌山-新宮間の電化を機に引退した。
廃車後は1両が弁天町の交通科学博物館で保存されている。
この写真は紀勢本線電化の前々日「キハ81DC さよなら運転」で天王寺に到着した後、和歌山に回送するところを、津久野-鳳間で撮影したもの。
父親のペンタックスSPと200mm望遠レンズを借りて撮影したが、慣れないカメラのため天王寺に向かう列車はうまく収めることができず、回送時の後追いがせいぜいであった。 私自身1960年12月生まれということもあり、このキハ81号には特に親しみを感じていたが、18年で引退という事実にはことに衝撃を受けた。
キハ81 ラストラン
1978年9月30日