Gare de l’Opera (6) – background

実際の製作作業に移れないため、ストーリーを練っております。
Plan場所は、ラ・ファイエット通りとオスマン通りの間、タイブー通りに面しています。
プロヴァンス通りとラフィット通りが交差しながら線路を跨ぎます。

1889年のパリ万国博覧会を機に、北駅 東駅への国際列車を、パリ中心部へ乗り入れるため建設されました。
現在のRER E線とは、ほぼ重なっております。
プティト・サンチュール経由で、各方面からの列車も乗り入れも行われました。
蒸気機関車の入線や線路配置など矛盾はありますが、ご都合主義の設定です。
最寄のメトロの駅は
 地下鉄7 9号線 Chaussée d’Antin – La Fayette 
 地下鉄8 9号線 Richelieu – Drouot
です。
さて、オペラ駅が建設された頃の歴史背景を振り返ってみましょう。
パリの駅の開業の歴史は次の通りです。
 1837 サン・ラザール駅
 1840 モンパルナス駅
 1840 オステルリッツ駅
 1846 パリ北駅 (現駅舎は1865)
 1849 パリ東駅
 1855 リヨン駅 (時計台のある現駅舎は1900)
 1859 バスティーユ駅 (1969廃止)
また、1900年の万国博覧会にあわせてオルセー駅が開業しております。
1883.10.4には、オリエント急行の運行が開始されました。
ナポレオン3世の時代(1848-1870) ジョルジュ・オスマンによる パリ大改造が1853-1870 にかけてですが、
普仏戦争 1870-1871 を経て
 1874 オペラ座
 1865 オ・プランタン
 1893 ギャラリー・ラファイエット
が建設され、1889年の万国博覧会では、 エッフェル塔 が建設されました。
また、
 1889 サン・ラザール駅前の現 Hôtel Hilton Paris-Opéra
 1898 Hôtel Ritz 
 1909 Hôtel de Crillon (建築は1758)
 1927 オスマン通りの現 Paris Marriott Opera Ambassador Hotel
が開業しています。
印象派展が 1874-1886 にかけて8回開催され、
モネの サン・ラザール駅が描かれたのは 1877
音楽家では、
 ベルリオーズ 1803-1869
 グノー 1818-1893
 オッフェンバック 1819-1880
 サン=サーンス 1835-1921
 ビゼー 1838-1875
 マスネ 1842-1912
 ドビュッシー 1862-1918
 サティ 1866-1925
 ラヴェル 1875-1937
などが活躍しておりました。
この間、パリでのオペラの初演は次のとおりです
 1858 天国と地獄 オッフェンバック
 1867 ロメオとジュリエット グノー
 1868 ファウスト グノー
 1881 ホフマン物語 オッフェンバック
 1875 カルメン ビゼー
 1884 マノン マスネ
 1893 ウェルテル マスネ
 1892 サムソンとデリラ サン=サーンス
 1894 タイス マスネ
 1899 トロイアの人々 ベルリオーズ
 1902 ペレアスとメリザンド ドビュッシー
メトロは、
 地下鉄7号線 1910
 地下鉄8号線 1913
 地下鉄9号線 1922
に開業となっております。
Paris19101910年のパリの地図に配置してみました。
オスマン通りがまだイタリアン通りと繋がっておらず、タイブー通りとの交差点が、まるで駅前広場のようにぴたりと合います。

パリの人から見れば突っ込みどころ満載の設定ですが、架空鉄道ということでご容赦を。

Twitterまとめ 2011年10月

10月1日に開催されたOsaka Z Workshopにはじまり、ミニトランクレイアウトでのハロウィン列車の運転。
長浜への取材旅行
と鉄分の濃かったひと月のツィートのまとめはこちら。
Twilog 2011年10月
振り返ってみると、70ツイートと過去最高。
長浜の取材旅行では、オリエント急行のサロンカーに使われていたラリック社のガラス工芸を再度見ることができたのが大きな出来事か。

鳥取藩蔵屋敷跡発掘現場

Tenpo江戸時代、大阪は天下の台所と呼ばれ、諸藩の蔵屋敷が置かれていた。


Keihan堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島にも多くの蔵屋敷が置かれ、我がマンションの敷地は豊後森藩と日出藩の蔵屋敷の跡地とのことだ。


0423マンションの隣地は高層ホテルの建設予定地なのだが、GW前に「遺跡発掘中」の看板が掲示された。
隣地は、鳥取藩(米子藩)蔵屋敷の跡地らしく、関電ビルや旧ダイビルの敷地には舟入りもある大規模な蔵屋敷だったようだ。


0506GW明けには姿を現してきた。


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どうやら井戸の跡や、石囲いのようなものが発掘されたようだ。
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発掘調査は1月半ほどで終了し、6月中旬にはすっかりと埋め戻された。
遺構の説明会は無かったが、いずれ「大阪市内埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告書」で掲載されるであろうから、2011年版の刊行が待ち遠しい。
追記
タイトルとは関連がないが、中之島の町会が中心となって、8月15日(月)に、田蓑橋と玉江橋の間の堂島川左岸において、精霊流しが開催される。
精霊流しというが、現在は灯篭流しは行わておらず、お盆のお供え物を集め、灯明を灯すだけだが、将来は灯篭流しを復活させたいとのことだ。
昨年開催の「中之島の精霊流し」(産経新聞より)
追記2
今年の開催について、京阪電車の駅等で配布されている、「月刊島民」に掲載された。
月刊島民Vol.37の17頁をご覧あれ。